やさしい麦茶のやさしさは俺だけに微笑まない

 別に外ではお酒やコーヒーも飲むが、ふだん自分は家ではやさしい麦茶しかほとんど飲んでいない。ずっとamazonの定期便を依頼していて、2週間に1回、2Lが18本ずつ置き配で届く。

 気づけば玄関前に大量の麦茶が届いている、という生活にすっかり慣れ切ってしまっているわけだけれど、当たり前ながらそれらを届けてくれている人がいて初めて、引きこもりたる自分の生活は成立する。ヤマト運輸amazonUber Eatsなどの個人配達員の方々の存在がなければ我が身は砂漠となってしまうだろう。ただでさえ外に出ないのにこの連日の猛暑に晒されてはきっと生きていけない。

 

 しかし、どんなに外に出なくても、猛暑の影響は避けられないもので。というのも、2Lの麦茶のペットボトルを机の上に出しっぱなしにしていると、あっという間にぬるくなってしまうのだ。ぬるくなったやさしい麦茶。形骸化してしまったやさしさ。目線の合わない感謝の言葉。もはやかなしい麦茶。

 

 で、これを買った。無印良品の保冷ペットボトルホルダー。

 500~650mlのペットボトルを、ボトルごとそのまま入れてフタを閉めるだけでペットボトルがぬるくなりにくくなる。結露も起きないし、こまめに洗ったりしなくてもそんなにいい気がする。めちゃくちゃいい。すごい。ニトリや各種アウトドアメーカーからも似たようなのが出てるらしい。

 アウトドア用品として紹介されているくらいには保冷効果があるので、自分みたいにデスクワーク(ゲーム)のお供として飲み物を置いているだけの人間にとってはその効果は絶大そのもの。試しに500mlの紅茶やらカフェラテやら色々入れてみたが、一生冷えている。とても幸せな気持ちになれる。

 

 これをきっかけにして、amazonの定期便の内容を2Lペットボトルから小さいものに変えた。2Lのものを解約して、新たに定期おトク便をスタートする、という流れだ。こうしてかなしい麦茶は幸いの麦茶になるはずだ。はずだった。

 

 そして、定期便の初回が昨日届いた。無事受け取ったわけだが、どこか違和感があった。なんだ、と思ったが、アレだ。いつもの配達員さんじゃなくなっているのだ。

 あの人には「いつものようにドア横にお願いします」すら要らなかった。なんならあの人最近こちらが何も言わずとも「ドア横に置いておきま~す」と言って帰っていたのに。今日はインターホンが鳴ったので自分は外に出て「ここにお願いします」と頼んだ。それはいい。それは全然、もちろん、初めての人にはお願いするのが筋なのだから全然いい。

 俺はあの配達員さんに最後にお礼を言っていない。いや、住所が変わったわけではないのだからそのうち同じ人が来ることもあるのかもしれない。今までも、たまに違う人のことはあったし。ただ、もう二度と来なかったらどうしよう。全然顔も覚えてないし知らないけど、あの人はもう2年くらいは我が家に麦茶を供給し続けてくれていたのだ。我が家はあの人に支えられていた。「あの人」って、「彼」だの「彼女」だのにしようと思ったけど性別も自認も全然わからんのだ。書きようがない。

 

 別にめちゃくちゃ執着するわけでもないけれど、めちゃくちゃ執着するわけでもないけれど伝えそびれた感謝、という概念がかなり寂しい。

 去年から行っていないあの美容院の美容師さんも、引っ越し前の家の近くのあの吉野家の店員さんも、すごくお世話になって顔も覚えられているのにお礼の挨拶もしない、というかしないよな、みたいなことが多くて、別にしないならしないでいいんだけど、結構そういうの寂しく思うときがある。

 

 まあ言うても、俺一人は彼らスタッフにとって掃いて捨てるほどいる客のうちの一人であるわけで。よくあることだし、気にしちゃいないだろう。気にしないでいてくれ。けど、ほんと、ありがとうございました。

 

 こういうことがある度に、感謝は日ごと伝えておくものだ、と思う。感謝や賞賛はインスタント呪文だけど、ソーサリー・タイミングで唱えておかないとチャンスを逃すときがある。マナが余ったら唱えておこう。

 感謝を唱えられるくらいのマナは残しておこう。やさしい麦茶になるために。